みたき園コラム

text by Naoko Kobayashi

Vol.11 特別編

若女将のインタビュー

聞き手・文:みつばち社 小林奈穂子
コミュニケーションデザインを専門とするふたりのユニット、みつばち社の1号。プランナー兼ライター。みたき園ではWebサイトを手がけるほか、次の時代の園における相談相手として伴走中。

当コラムコーナーの筆者、みつばち社の小林奈穂子です。みたき園に出会って、10年近くになりました。とりわけ若女将と親しく交流してきた中で、次のみたき園を担わんとする思いにも、奮闘にも触れてきました。コーナーの特別編として、インタビューの形でご紹介します。

記録を見返すに、私が初めてみたき園を訪れたのは2014年の智頭町への出張時、仕事でみたき園に関わり始めたのが2016年、若女将と活発にやり取りを始めたのは2018年です。若女将に関して言えば、5年あまりで自信をつけて、顔つきまで変わりましたよね。

若女将そうでしょうか(笑)。あのころの自分には、まだ軸のようなものがなくて、迷ってばかりでした。だんだんと、確かなものを見つけてくることができたのだと思います。

ちょうどあのころ、社長と女将さんからは、女将さんも働く人も高齢化してきて、みたき園をあと何年も続けられない、「娘がやりたいようなことを言っているけど、3人の子育てをしながらなどとても無理だ」とのお話がありました。良いところがあれば、場合によっては県外の企業になるかもしれないが、運営を任せることも考えたいと。

若女将そうなんです。それを聞いて、人の手には絶対に渡したくないと、強く思ったんです。創業者である父が形にし、初代女将は祖母でした。二代目の女将の母が、長年守り、50年近く続いてきた特別な場所です。手放すなんて悔しい!と。とにかく、自分がやる、やりたい、やれる!と、思い込んで、女将さんに仕事を仕込んでくれるようお願いしたのですが、何度も断られました。女将さんはみたき園に人生の多くを注ぎ込んできたので、娘の私にそんな苦労はさせられないと思ったようです。

でもこれに関しては、若女将のほうが、折れなかったんですね。

若女将そうですね。それまでもちょこちょこ手伝ってはいたのですけど、頼み込んで本気で始めてみると、すごく楽しかったんです。生きている感じというのでしょうか、身体性が目覚めるようで、自分を生きている実感が持てたんですね。初めは、みたき園を「実家のこと」と捉えていましたし、大半は家業を守りたい気持ちだったのですけど、これは「私のこと」だとの思いが芽生えて、大きくなってゆきました。

私は出会ったころから、無責任にも、「それだけの気持ちがあるのだから、なんとしてでもやるべき!5年もすれば子育ての状況も変わる。絶対にやって良かったと思える!」と背中を押しまくった上に、図々しくも社長や女将さんに進言したクチですが、あのころの、自信も余裕もない若女将でもなお、「この人は向いている」と思えるものを持っていらした。ただ、これほど短い期間で、これほどの勢いで強さを発揮されるようになるとは思っていませんでした(笑)。

若女将最初のころは、子どもたちにもいまより手がかかりましたし、子どものこと、家のこと、みたき園のこと、どれも思うに任せず、中途半端な自分にいつも焦って。社会経験も浅い私が、できると啖呵を切ったところで前のめりなのは気持ちだけ。みんなに迷惑をかけていると思うと情けなくて、帰り道に運転しながらよく泣きました。それが、ここ2〜3年、コロナの影響で、かつてない、これまでと違う困難に直面しても、あのころほどにオロオロすることのない自分に気づきました。いろんな迷いが、みたき園は確かな役割がある場所なんだという確信と、この先も続けられる形をつくっていかなくてはという責任感に変わって、不安がなくなったんです。

最近まで電話口で「家族が言うように、やっぱり私には無理なのかな…」って泣いていた人が、「あれもやりたい!これもやってみたい!」とどんどん前向きで力強い言葉を発するようになって、「やるしかないですから」と、どっしり構えるようにもなって、社長や女将さんにはっきりご自分の意見を言うようになって。私が言うのもおこがましいですけど、急成長が過ぎて(笑)さすがにびっくりしています。

若女将以前は、夫や子どもたちにも少なからず負い目みたいなものを感じていたんですよね。それも変わりましたし、私の本気が伝わったのか、まだ小学生の子どもたちまでが全面的に応援してくれていて、本当にありがたいです。

小学生にして。

若女将そうなんですよ。私は母が家にいなかったから、ないものねだりだったのかもしれませんね、「家にいるお母さん」に憧れて、自分はそうなりたかったのに、結局母と同じ道を進んでいて、子どもたちに申し訳ないと思っていました。ところが子どもたちはというと、「私たちはぜんぜん構わない!」って言うんです。3人ともみたき園が大好きで、ここで働く私のことも、いいと思ってくれている。常に私がいなくたって、お友だちと一緒にいるのも祖父母と一緒にいるのも好きで楽しいからって。「お母さんが納得できるように、好きにしたらいい」って、どっちが大人だかわからないですよね。

それは救われますね。お母さんの一生懸命や、生きがいを見つけた姿を見てきたからというのもあるでしょうし、あと、時代もあるのでしょうね。「お母さんが家で待っていないと子どもがかわいそう」と、子どもではなく社会の側が思わせていた。誰もが若女将と同じストーリーをたどれるとは思いませんが、いまの時代の希望となるロールモデルではないですか。みたき園はずっと、女性中心でやってきていますしね。

若女将そこはそう思います。代々、多くは家庭や子どもを持つ女性の働く場で、その中で融通を利かせながらやってきています。そのときどきで優先したいことを優先してもらいながら、長く働いてもらえたら最高だと思っています。一方で最近は、長くなくたって構わないと思うようにもなりました。いろんな人生があるので、その人生のいっときでも、ここを居場所にしてもらえたら、それでいいんじゃないかって。そのとき関わってもらえる人に関わってもらいながら、この場所をつないでいけたらなって。なので、いまこのとき、いてくれる人に感謝して、大事にしたいです。

みたき園は確かな役割がある場所なんだっておっしゃっていましたね。

若女将自然と近い、つながりを感じられるところで手をかけて働くことで、一日の充実感や、命を活かし合う感覚を味わってもらえたら。押しつけたくはないけど、私がそうだったんです。私は子どものころからみたき園があるのが当たり前に育って、十代のいっときは、「田舎っぽくて嫌だな」と距離を置いたものでした。でも、大人になって、ここが、こうした暮らしが、かっこいいと感じるようになりました。「自然の恵み」を、言葉だけでなく理解するようになったいまは、その思いを一層強くしています。継ぎたいと意気込んでいた私ですけど、みたき園を自分のもののようには思っていないんです。よく「日本のふるさと」みたいだという表現をしてくれるお客さまがいるんですよね。この先もずっと、みんなにとってのふるさとであり続けたい。そうなれる、力のある場所だと思うので、いろんな人の手を借りながら、守っていきたいんです。

時代が変わっても変わらないよう守る部分と、時代によって変えていく部分と、両方必要ですよね。

若女将そうなんです。女将の代では、とにかくみんな当たり前のように働き者で、息抜きもせずにせっせと働くものだとされていました。幼いころからそういう大人の背中を見てきて、とても尊敬しています。でも、働くことと自己実現とを重ねて考える時代、これからのスタッフに同じことを求めるわけにはいきません。私自身、お客さまに一番のおもてなしをする気力を養うためには、仕事だけしていてもダメだと思っています。スタッフには、自分のことを大事にしてもらいたいですし、いきいきと働けるように環境を整えるのが私の仕事だと思っています。

みたき園に限りませんけど、そこが実は、一番むずかしいところでもありますよね。

若女将本当に。まだまだ至らないところばかりで、そのせいでスタッフが辞めてしまう経験を繰り返すと、やっぱり落ち込みます。試行錯誤はするものの、どんなやり方が正解なのかも見えていません。

でも、若女将が一番心を砕いてきた点ではないかと、これまで見てきて感じています。働きやすいように変えてきた部分も少なくないですよね。

若女将とにかく、休園日もない、シフトもないというみたき園でしたからね(笑)。

ですよね。「休みがあるっていいね」って、何十年のベテランの方々のみならず、さっき女将さんも言ってましたよ(笑)。

若女将昔からのやり方で続けるものだと、疑うこともなくやってきたんですよね。働いてくださっていたのも地域の人たちなので、仕事というより暮らしというか、日々生活するように、みたき園に来てくれていたので。

すごいことですが、この先続けていけることではないですよね。

若女将その通りなんです。いまの一番の課題は、冬の休園期間の仕事についてです。おかげさまで「ふるさと便」をはじめとする通販は伸びていて、その発送作業や、開園期間用の仕込みなどの仕事はありますけれど、スタッフの生活を支えるほどにはなっていません。お客さまに喜んでいただける機会をより多くつくることで、スタッフに一年を通して安心して働いてもらえるよう、なんとか良い循環をつくりたいです。あと、双方の力を持ち寄れるような、地域の別の事業体などとの協働を、いまより活発にしていきたいとも考えています。

そうですね。みたき園自体は、50年前から変わらず地域密着でも、働く人には、智頭町に移住して来た方もいたり、ここでの仕事で生活を成り立たせる必要のある方もいたりと、以前とは変わってきていますしね。

若女将そうなんです。近所の人たちとの助け合いで維持することはもう無理だという現実もあります。最近では、経営に関してもアイデアを出したり提案したりしてくれるスタッフが出てきて、とてもありがたく、うれしく感じています。ただ、内側でばかりでは気づけないことが多いので、外の、みつばち社さんのような理解者的存在には、引き続き力になってもらいたいです。私たちはビジネスのプロとは程遠くて、私も講座などで学んではみたのですが、マーケティングとか、よくいう3ヵ年とか5ヵ年計画とか、どうもピンとこなくて…。

いわゆるノウハウ的なのは、みたき園には馴染まないところが多いですよね。みたき園には、例えば、ここを原風景と感じる日本人のみならず、近年増えてきた海外からのお客さんをも感動させる、大きな財産を持っています。決してノウハウから生まれたものではないですよね。狙ってもいなかった(笑)ミシュランのビブグルマンを思いがけず獲ったりもして。50年続いてきたみたき園も素晴らしいし、これからのみたき園も、可能性でいっぱいだと思います。

若女将そうですね。こんな山奥まで、不思議なくらいいろんな国の方がいらしてくれて、喜んでくださって。まだやらなくてはいけないことはたくさんあるのですけれど、間違ってはないですかね?

間違っていないと思います。

若女将いろんな人たちと関わり合いながら、一つ一つ、一日一日、一年一年をなるだけ丁寧に積み重ねていきたいです。それがみたき園の、「小さき花を、めでるように」の姿なのかなって。そうやって、私たちは実は陰であたふたしながらも、お客さまにはほっとしてもらえるような場所を守っていきたいです。お客さまやスタッフや、家族や地域の方、食材を届けてくださる方、お手伝い、アドバイスくださる方、みなさんのお力があってのことだと心から感謝しています。そうした感謝も、私の代で絶やすことなく次につなげられるよう、日々精進していきたいです。